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池史彦自工会会長の出張授業 母校上智大学で交渉人を語る
本日、10月13日、今年で3回目となる自工会加盟会社の経営トップらによる出張授業。今日は池史彦自工会会長、ホンダ会長が登壇。
40年ぶりに来たという母校の上智大学で、池さんはビジネスマン人生を熱く語った。テーマは交渉人、ネゴシエーターだ。ホンダに中途採用で入社してから30数年。英語力を駆使した池さんの企業間交渉の舞台裏の様子が垣間見えて、興味深い内容だった。参加した学生さんたちも興味津々。
以下は授業内容のダイジェストだ。
自分の目で現実に触れると感動の度合いも増す。ホンダの場合で言えば、年間2500万台の製品が売れている。これを2500万人との出会いだと思っている。
メーカー場合、ただ闇雲に商品を作っているのではなく、理念を持って作っている。
ホンダの企業理念を広げる手伝いができた。現実のモノと、コミュニケーションを通じて、自分を成長させてきた。
中学、高校は公立。軟式テニスをやった。高校では軟式テニス部の部長もやった。
進学意欲がなく、受験勉強もしないで、遊んでばかりいた。
が、姉の勧めで受験することにした。家庭内で英語を喋れないのは自分だけだった。勉強は好きじゃないけど、英語はやりたい。一浪して奇跡的に上智大学の英語科に受かった。
上智大学で学んだことが、人生の節目節目で役に立った。カルチャーも英語環境だし、ネイティヴもたくさんいた。
就職はオイルショック時。優は17個しかなかった。
たまさか音楽が好きで、トリオを使っていたので、もぐりこんだ。
沖縄の在日米軍への営業活動をやった。79年に2度目のオイルショックが来て、会社が潰れそうだった。その頃、社内結婚した。義母からホンダの中途採用を勧められ、転職することになった。ホンダに入って幸せだった。
ホンダの
理念は、世のため人のため、何かできることはないか。米軍払い下げのエンジンを自転車に付けた。本田宗一郎が奥様を楽にするために始めた。その後の自分でエンジンを作る。
売る喜び、買う喜び、創る喜びの3つの喜びが大切。
世界130拠点、うち39の工場。従業員20万人のうち日本人が五万人。
異文化や国際的なものに触れる。転職して3カ月目にインドに行った。
二輪車を生産しようと考えたが、非常に高い現地調達率をインド政府から求められた。33年前のインドは貧しく、カースト制度も厳格。
当時はインドの人が二輪車を買うのに、納車まで10年、20年かかる。これは大変だけどビジネスになると思った。
5年半ほど、インドや中近東の担当をした。その後、降ってわいたようにニューヨーク駐在になった。NY上場が国際化の登竜門だった。5年駐在した。投資家に話しをする。相手はただ株価が上がれば良いのではなく、企業理念や将来に注目する。
ローバーとBMWとの株式売買交渉。英国政府からローバーを助けて欲しいとの要請があった。
技術提携から始めた。その後ローバーの株主であるBAEの持株から、47.5%まで株式を買いましていった。
ところが、BMWから11億ポンドで全株式を購入する提案があった。ローバーの企業価値を上げたのはホンダだの自負があった。ローバーときれいさっぱり離れたいと思った。
マスコミの目を避けるため、NYのホンダの事務所でBMWと交渉することになった。前輪駆動の技術が欲しいBMWだったが、ホンダのライセンスが基となっていたため。
いすゞ株の49%を持っていたGMと話すことになった。当時はジャックスミス会長。財務畑出身。販売台数はGMが圧倒的に多かったが、時価総額は、ホンダが上回っていた。
GMはホンダのエンジンが欲しかった。1970年代に、マスキー法が成立する。それまでの規制値の10分の1にする法律だった。皆が技術的に無理と言ったが、日本最後発の四輪車メーカーであるホンダは2年後の1972年にCVCCエンジンでマスキー法をクリアした。
薄い燃料を燃やすために、副燃焼室を設けて着火性を高めた。当時GMは年販800万台。そのうち8割、640万台をのエンジンを求められたが、結果的には数十万台規模の供給が決まった。
GMとは、その後も関係が続く。ZEV法のもと、燃料電池分野では、一緒にやろうねと言っている。エンジン供給の頃の話が礎になっているのかなぁと思っている。
ホンダは50年以上前に飛行機の設計者を公募した。
飛行機はひとたび開発すると、20年かかり20年売られる。クルマとは違うビジネスモデル。
GEにアプローチした。GEが一緒にやってくれることになり、事業化することになった。
ブランドの力とは、いかに企業理念を具現化できるか。
自工会としては、若い人がモノづくりから離れているのではないかとの危機感を抱いている。
政府も日本再興戦略の中で、自動化や繋がる、水素社会などを重要項目にあげている。ドイツが主導しているインダストリー4.0、第4次産業革命に、モノのインターネット化に、日本も負けないようにやっていかなければならない。
若い学生の皆さんに関心を持ってもらいたい。自分で見て感じることが、世界観を広げる。
ありがとうございました。
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